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必見!吉本興業!改めて調べてみるとすごい会社です!

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はい!連日の報道で大変なことになってますね。
僕の大好きな松本人志さんもてんやわんやな感じです。
岡本社長は過去にはこんなことやってました。

吉本 岡本怒る!ダウンタウン元マネージャー 岡本昭彦 吉本興業社長 ビンタ ガキの使い

楽しそうですね。
あれから月日が経ってあんなことになるとは・・・
というよりそもそもそういう教育の会社にいたなら
そうなってしまってもしょうがないよね。

てかそもそもどんな会社なの!?
と言う事で!
ネットに転がってるニュースを調べてまとめてみました!

  • 近年の吉本の社会的な位置
  • 今回の騒動を分かりやすく時系列にしました。
  • 元々はどんな会社?
  • 山口組とは切っても切れない関係
  • まとめ

近年の吉本の社会的な位置

1912年に創業した吉本興業。100年以上続いているいわずと知れたエンターテイメントの大会社です。
近年では「エンタテインメント専門学校」「大阪パーク」「ベンチャーファンド」 など多方面に活躍の場を広げてきました。

2019年4月21日、NTTグループと組み、教育関連のコンテンツを配信する「ラフアンドピースマザー」を立ち上げると発表した。
なんとなく記憶にある人もいるのではないでしょうか?
このプラットフォームには、官民ファンド「クールジャパン機構」が最大で100億円を段階的に出資するそうです。
今回の件でどうなるかはわかりませんが・・・。

とにもかくにも飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

しかし、これだけの企業ですが上場企業ではないのです。
1949年、朝鮮戦争の1年前に上場していたわけですが、なぜか2009年突然上場を廃止することになります。

え!?そんなことして大丈夫なんですか??って思いますよね?
世の中は賢い奴らも思うが儘ですね。

元ソニーの出井氏が代表を務める会社が吉本バイアウトのペーパーカンパニーを組成してTOBを実施したあと、残された株主から強制的に保有株を買い上げるというキャッシュアウトでこの上場廃止を成功させてしまいます。
SPC、特別目的会社と呼ばれる仕組みを利用していますね。

原因の一端として当時吉本興業のトップタレントであった島田紳助氏の騒動が原因と言われています。

当時トップタレントの突然の引退で吉本興業の業績悪化は必至と考えられたはずです。
また同氏の引退による損害を受けたテレビ局等から損害賠償を求められてもおかしくありません。

そのような状況の中、株主による追求を避ける目的もあったと目されています。
後述しますが、上場廃止後の非上場株式の株主を見ると納得してしまいますね。

この時の反省を生かしてテレビ局や企業を株主にして多少の不祥事には動じない
ズブズブ企業になったのでしょう。
企業はどんな会社なんでしょうか?

フジ・メディア・ホールディングス60000株12.13%
日本テレビ放送網40000株8.09%
TBSテレビ40000株8.09%
テレビ朝日ホールディングス40000株8.09%
大成土地40000株8.09%創業家の資産管理会社
京楽産業.40000株8.09%
BM総研30000株6.07%ソフトバンクの完全子会社
テレビ東京20000株4.04%
電通20000株4.04%
フェイス20000株4.04%
ドワンゴ14000株2.83%
朝日放送12400株2.51%
三井住友銀行12000株2.43%
ヤフー10000株2.02%
大成建設10000株2.02%スーパーゼネコンの一社であり、大成土地とは無関係
岩井コスモホールディングス10000株2.02%
MBSメディアホールディングス10000株2.02%
テクタイト10000株2.02%2016年、シーエスロジネットを吸収合併
松竹7000株1.42%
KDDI6000株1.21%
住友信託銀行6000株1.21%
みずほ銀行6000株1.21%
関西テレビ放送5000株1.01%
讀賣テレビ放送5000株1.01%
東宝5000株1.01%
KADOKAWA5000株1.01%
タカラトミー5000株1.01%
博報堂2800株0.57%
テレビ大阪2000株0.40%
博報堂DYメディアパートナーズ1200株0.24%
クオンタムリープ60株0.01%出井伸之のコンサルティング会社
合計494460株100%

イヤーすごいですね。
そら芸人一人、二人程度ならなんとでもできるわな。。。。

今回の騒動を分かりやすく時系列にしました。

2019/6/4 入江氏、契約解消

2019/6/7 22時頃 宮迫氏ツイート

2019/6/8 16時頃 亮氏ツイート

・亮氏がツイート後、宮迫氏に電話、宮迫氏がギャラを貰っていた旨を連絡
・宮迫氏、亮氏、HG、福島4名で会社を訪問、再度のヒアリング
・参加者全員が入江氏からギャラを受領していた旨述べるが、金額に明確な記憶はない
・突如重大な新事情が判明したため、事実が不明確な状況のもと、各自の判断でSNS、マスメディア等で勝手な情報発信をしないよう要請
⇒ 以降、金銭の流れ、金額確定に向けて弁護士を同席させてヒアリング実施。事実が明らかになり、虚偽報告の詳細が固まれば重い処分とならざるを得ないことを説明

2019/6/10 HG、福島と面談

2019/6/14 フライデー第2弾記事発売

2019/6/15 宮迫氏、亮氏、HG、福島 再ヒアリング

・やはり宮迫氏らに受領金額の記憶はなく事実は確定せず

2019/6/18~19 各タレント一斉ヒアリング

・事実整理をもう一度行うが、宮迫氏らに事実経緯、受領金額の明確な記憶はない
・入江氏はこの日もギャラは40~50万だったと説明
・亮氏は、ギャラ受領の事実を早く言いたいと述べたが、会社としては、金額も明確でないため調査を待って欲しい旨を伝える

2019/6/21 宮迫氏と面談。他のタレントに先行して謹慎処分の方針を説明

2019/6/24 各タレント集合

・謹慎処分の通告(藤原・顧問弁護士・小林にて面談)
・各自、リリース内容へ異議、亮氏は会社を辞めて一人で会見したいと主張する等の状況、これを受けて岡本社長がタレントと面談

2019/7/6
・宮迫氏、亮氏が来社。岡本、藤原にて面談
・記者会見をしたい、その際、宮迫氏が引退を発表すると述べる
⇒引退を慰留。会見は行うが、時期や方法は会社に任せてほしい

2019/7/7 宮迫氏と藤原が面談。
・早期会見を要望。寄付・納税等を行ったうえ会見すべき、と述べる。

2019/7/8 宮迫氏・亮氏、藤原・小林・顧問弁護士にて面談

・宮迫氏が自身の引退について述べ、早期の会見実施を再要望
・その後、入江氏、HG、福島も含めてタレントのみで打ち合わせ
・結果、宮迫氏は引退しない、来週中を目処に会社が謝罪会見を実施する方針となる

2019/7/10
・亮氏から、QA整理の段階で宮迫氏・亮氏が委任した弁護士を参加させたいとの要望
・その後、先方弁護士から早期の会見打ち合わせ要望を受ける、以降、弁護士を窓口として連絡することになる

2019/7/11 先方弁護士、宮迫氏、亮氏、当社顧問弁護士、小林にて面談

・会見が遅い、やらせてくれない、寄付もまだ、との不満が述べられる。
・会社はタレント復帰に向けて最善策を考え、寄付、納税の在り方など多角的に検討してきたと説明
・顧問弁護士より、損害も生じているがファミリーだから請求しない、タレント復帰に向けて現場は奔走している旨を話す
・宮迫氏・亮氏側の弁護士から会見の生中継の要望あり。生中継する場合、当社の株主には放送局もおり、公平を期して時間帯などに配慮が必要となる、と説明。
・会見のテーマを明確にするため、宮迫氏・亮氏側弁護士が持ち帰って検討し、会見テーマの書面提案を受けることに

https://dot.asahi.com/dot/2019072200041.html?page=1

こんな感じでしょうか?
今回の件で忘れてはいけないのは
最初のウソから始まっていると言う事、やはりこれは忘れてはいけません。

元々はどんな会社?

NHK朝ドラ『わろてんか』。 のモデルが吉本とされております。
吉本の始まりをザックリひも解いてみましょう。

1912年(明治45年)、芸能好きが昂じた吉兵衛は、「第二文芸館」を買い取りました。貧しい吉本家には買収資金もなく、せいが頭を下げて金策に周り、実家にまで助けを求めて、ようやくこぎつけたのでした。

この「第二文芸館」での寄席が、「吉本興業」の起こり。
買収の翌年には「吉本興行部」が発足します。
これがのちの吉本興業です。

1915年(大正4年)には傘下の端席のほとんどを「花と咲くか、月と陰るか、全てを賭けて」との思いから「花月」 と改名し花月派(無名落語家や一門に属さない落語家、色物などの諸派)を結成。
(簡単に言うとバックボーンがないけどおもろい奴らを囲って組織化したわけです)

その後吉本せいは商才をいかんなく発揮して 京都、神戸、名古屋、横浜、東京等 にも寄せを展開していきました。

その後戦争などを乗り越え数々の芸人を輩出しエンターテイメント業界を席捲、明石家さんま、ダウンタウン等現在のお笑い界になくてはならない芸人を数多く輩出する。

山口組とは切っても切れない関係

吉本の反社会的勢力に対するコンプライアンスです。

2009年の非上場化のタイミングと同時に、反社会的勢力との決別を明確に打ち出し、強い信念をもってその排除に努めてまいりました。

https://www.yoshimoto.co.jp/corp/news/media/media190627_2.html

そもそも興行と着くところって何となく893的な臭いがしますよね。
調べてみるとなかなかのお付き合いがあるようです。

吉本と山口組が初めてかかわるのが昭和9年(1934年) です 。

今とは違い関東は松竹、関西は吉本という構図が続いておりました。
関係は良好共催で漫才大会なども行っておりました。

ところが松竹が引き抜きを始めます。

その対抗策としてなんとしても囲いたい芸人、二代目 広沢虎造この人の興行権を勝ち取るために仲裁を頼んだのが 山口組興行部 であったわけです。

吉本が原因の抗争で!?

吉本所属となった広沢虎造 ですが吉本に無断で籠寅組という暴力団の映画に出ることを決めてしまいます。
そうなると黙っちゃいられない!ということでまた山口組に事を納めてもらいました。

しかしその後 籠寅組 に襲撃に合い 2代目組長が 重傷を負いそれがもとで42歳の若さで逝去してしまいます。
これがもととなりさらに関係を深めていきます。

まとめ

もともと関西の小さな会社だけにスピリッツは満載なんでしょうね。
でも、時代に合わない発言や習慣はやっぱり直すべきですね。
今回の件は最初のウソが全ての始まりであると言う事は紛れもない事実です。

パワハラなどは別々の問題で見る必要がありますね。
というより早く収束してもらって何も考えずにおわらいをたのしみたいですね。